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出会い

子供の時の浣腸

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子供の時の浣腸        池田喜代子
掲載 奇譚クラブ 昭和33年 7月号

 私が小学校五年の夏の時でした。夕食も終えて母と姉と私の三人は、楽しく語りあっておりました。「喜代子、ちょっと来てごらんなさい。熱があるんじゃないの。」
 母はそう言って私を近くへ呼ぶとひたいに手をやりました。姉に無言で体温計を持って来るように言いつけながら、私の顔色をじっとみつめています。私は何か不安な気持ちにおそわれました。
 その不安は、・・・・浣腸・・・・そうなのです。私の家では私はちょいちょい、この浣腸の洗礼をうけました。まず第一にお通じのない日。第二に熱のある時。このどちらかにあてはまる時は、母はきまって私に浣腸するのです。姉に手伝わせながら・・・・・
 熱は七度何分-よくおぼえていませんが確か七度ちょっとだったと思います。「喜代子、今日お通じは?」 私は悲しく首を振りました。まだ小学生時分では、とても母親にウソをつくなどということは出来ないのです。「ちょっと浣腸してみましょうね。」そういうと、母は次の間に消えました。いよいよ浣腸の準備です。姉はいつもの通り、私の顔色をちょっとみながら、床を敷き始めます。真っ白なシーツが敷かれます。私はそれをじっとみつめながら何とも言えない気分なって眼をぱたぱたさせながら、それでも一生けんめい、こんなことは別に何でもない、といった表情をしているのです。しかしその心中は・・・・・数分後のその上で展開される光景を考えると、子供ながら恥かしさと不快感でいっぱいになるのでした。
 母が右手に二個のいちぢく浣腸と、左手に脱脂綿と古新聞を持って入って来ました。
私は母に言われるより早く、床に仰臥しました。どうせ嫌がっても、許してもらえるものではありませんし、嫌がって逃げまわり、そのあげく、押さえつけられて、浣腸されるのは -私が小さい時は、いつもそうでしたが-  もっとみじめだからです。浣腸された翌日などお隣のおばさんが母に、「きのうは喜代子ちゃん、いやに大声で泣いてらしたけど、どうなさいましたの。」 と聞きますと、母は「いえ、ね、浣腸したんですよ。いやがりましてね。とうとう陽子(姉)におさえつけさせて、やったんですが・・・・・。」 と言いながら、私の頭をなでるのです。となりのおばさんは、一寸顔を赤らめて低く笑いながら、「まぁ、そうでしたの。本当に浣腸は、される者はいやなものですものね。」 と私の顔をのぞきます。私の母のエプロンに顔をうずめながら母親をこずきまわす。よけいなことを言わなければよいのに、と思いながら・・・・・  そういう訳で、この頃の私は、全くの無抵抗。おとなしく母の言うことを聞くようになっていました。姉が(六つ違いの)横に来て私のズロースをしずかに脱がせます。すっと下の方が涼しくなって、冷たいシーツの上に皮膚がじかに接しますと、いよいよ私は観念しました。母がかたわらで、私の顔を見ながら、いちぢく浣腸の先端に穴をあけています。姉もそれをみているのです。浣腸された者なら誰でも経験することですが、浣腸のいやなのは、それ自体が苦痛だとか、恥ずかしいという以上に、される者とする者との劣等感と、優越感にいいようのない絶え難さがあるものなのです。このことは実際に浣腸される迄の準備の時間が長ければ長いほど大きくなります。必要以上に準備に手間どっている。そう思われるのです。
 穴のあけられた二個のいちぢく浣腸が姉の手に渡され、母は私の両足を持ちあげて、その下に古新聞を、すべり込ませます。新聞紙をおしりに敷かれた時の、あのやりきれない想い-いよいよ始まるんだ-いや応なく自分に言いきかせます。「じゃ、喜代子、口を大きくあけて、お腹に力を入れちゃだめですよ。すぐ終わりますからね。」 そういい聞かせる母の声もうらめしくそれでも私は、言われたとおりに、口をあけ腹から力を抜き天井の一角に眼をやって、浣腸されるのを待ちます。一刻も早く終るようにいのりながら・・・・・
 姉から一個の浣腸器を受けとりながら、脱脂綿でその先端をふきます。あおむけに寝かされた私は、それをじっとみています。母の左手が、つとのびていちぢく浣腸の先端を近づけます。もういっぺん私の顔をみて「ちょっと気持ちが悪いかもしれないけど、がまんするんですよ。」 黙ってしてくれればいいのに、これがいつも私のいだく不満でした。おとなしく浣腸される者に向かって、言う必要もないことをどうして言うのかと。
 が、やがて静かに浣腸器の先端は差し込まれ、四つの眼が私のおしりに集中します。そして浣腸液の注入! あの何とも言えぬ冷たい液体、それが直腸内に入ってくる時のやりきれない不快感。私は依然天井をみつめています。そしていちぢく浣腸特有の、おしまいの一滴を注入し終えた時におこる、セルロイドをひしぐ音。あれがこの浣腸効果をいや増します.
 すっーと、静かに浣腸器をぬきとる母。「どおう?気持悪い。もうひとつ、がまんするんですよ。」   姉が私の足を押えながら又つけ加えます。「もうひとつだけだよ。」  浣腸された人が -二個以上の浣腸をされた人が- 知っているように、浣腸は大抵の場合あっという間に終わってしまいますが、二回目は相当に苦痛です。しかも、一個目のが終わると同時にすぐ始めてくれるのならまだいいのですが、ちょっとでも間をおくと、全く生理的にも、地理的にも耐え難いものなのです。が、そういうことにならされていた私は、この場合も、いわれるままに必死になって耐えていました。
 二個目の浣腸液が、例によって静かに注がれると同時に、もうれつに私は便意をもよおしました。思わず、おしりを左右に振りながら浣腸液をのがれようと-全く不可能なそしてあわれな抵抗ですが-しました。「駄目よ。喜代子、もうすぐおわりますからね。がまんするんですよ。陽子、ちゃんと押さえていなさい。」
 浣腸の注入を一時やめて、母は姉と私に注意しました。要するに浣腸されている時間が少しながくなった、というだけのの結果だったのです。最後の一滴が注入され終ると、母はそれをぬきとり、脱脂綿で仰臥させたまま押さえます。そして、姉に、便器の用意を命じました。毛布が私の体の上にかけられ、私の顔は勢い母の視線を受けとめねばなりません。「十分間位、がまんしなさいね。お薬がよくお腹の中までしみこまないから。」 これからが又並々ならぬ苦痛です。浣腸から排泄までの、時間こそ、私にとっては -他の人にとってもでしょうが- 一番いやな時なのです。母と姉は出来る丈、私の注意をその方から離そうと、色々な話題をつくっては、私に話しかけます。がこういう時の他愛ない世間話程、又いらだたしいものはありません。最小限度の答だけをしながらも、私の関心は時計の針にばかりそそがれます。約五分程たつと、もうがまん出来ない程強烈に便意をもよおしました。直腸がはげしく蠕動します。押えている母にもそれがわかるらしく、これ以上がまんは出来ない、と思われましたので「もう、喜代子、がまん出来ない。」 横に用意された、中に新聞紙を敷いた便器を見ながら、訴えました。「もう少し、がまんしてごらんなさい。充分便が出ない時は、もういっぺん浣腸しますよ。」 もういっぺん浣腸、という言葉を聞いて、私は泣きたくなるような気持でした。母の場合、けっしておどかしや何かではなく、二度でも、三度でもお腹がからになる丈続けるのが常でしたから。実際、私もその年の冬には、カゼで一週間程学校をやすみ、床にあったため便秘していた時など、一日に四度も続けて浣腸されたことがあったのです。
 もう一度浣腸されるとしたら、今度はひよっとすると、母が買ったばかりのあのグリセリン浣腸じゃあないだろうかと、私は思いました。当時はまず浣腸といえばいちぢく浣腸ときまっていたものでした。それを家でかかりつけの医者にすすめられて、母は当時一般家庭ではめずらしい、30cc入りの-と言っても実際充分吸いあげれば50cc以上はいります。 -グリセリン浣腸器を購入したのでした。ほんの一週間ばかり前のことで、夜、それをあけて私と姉にその仕方や- というよりされ方や-その中に入れるグリセリンを示して、「お医者さんで浣腸される時は大抵これなのよ。いちぢく浣腸より量もいっぱい入るし、液も濃いのよ。」 といったことを思いだしたのでした。私はそのブドウ糖注射器みたいな太い浣腸器を電燈の下でみせつけられながら、何といういやなものを発見したんだろう、とそしていつかは、この浣腸器で、浣腸されるのだろうと思いつつも、その日が一日でも遅いことを本気でお祈りしたものです。
 私はもういっぺん自分にあの時のことを思い浮かべさせて、がまんすることにしました。幸い便意は周期的におこるもので、それから二、三分程、どうにか私はがまんしました。八分位の時、泣いても笑っても、もうがまんが出来ないと思われましたので、「お母ちゃん、もう喜代子がまんできない。」 多分、半分は泣き声だったと思います.。母もそれがわかったらしく、側の便器を注意深くおしりの下にあてました。
 脱脂綿がとられると同時に、激しく私は排泄しました。姉と母の目の前で、もっともそれはいつものことでしたが・・・・・
 姉は静かに私の顔と便器と母の顔をみくらべていました。「喜代子ちゃん、よく我慢したわね。」 とわたしをなぐさめるかのように言ってくれますが、一方母の顔を見る目は、どうします?もういっぺん浣腸かけてみたら?と母をうながしているように私にはみえました。きっと姉の頭にも例の大きいグリセリン浣腸器のことがあったに違いありません。私は出来るだけ充分に排泄しようとけんめいでした。そしてその間中も私は、母の顔色をうかがうのにやっきとなっていました。もっとも、母の顔色を読みとれても、結局は何にもならないのでしたが。姉がまだ小さい時に父は姉と私の二人を残して死んでしまい、以後は母が我が家では、絶対的な存在だったのです。そして姉も小さい時は、私と同様に、よく浣腸されたものでした。もっとも姉はずっと小さい時から、浣腸にかぎらず、母の言うことには従順で、いやで泣きながらも、母が「陽子、もういっぺん浣腸しましょうね。」 というと、こっくりうなずいて用意するのでした。とにかく性格的にいって私とは正反対らしかったのです。
 それで、私が姉の浣腸されるのをのぞき込んだり、子供達が大勢集まっているいる時に「陽子姉ちゃん、ゆうべ浣腸されたのよ。」 とさわぎたてると、まっ赤になって泣き出すのでした。それでも、私が浣腸される時はいわれた 時のほかは、つとめて視線をはずしていましたし、友達に私が浣腸されたことなどけっして言ったりしませんでした。
ところで今夜は、例のグリセリン浣腸のことが頭にあるせいか、どうも姉も、私にもっと浣腸したがっているように思われてしようがなかったのです。「もう出ないわ」姉と母の顔を半分ずつ見ながら、私はおずおず言いました。ていねいに便器が除かれました。母と姉の視線がその便器にちらっと注がれました。母はだまって便の始末をするようにいいました。姉はそれを持って便所に捨てに行きました。「どお、何ともなかったでしょう。」 母は私の髪の毛をやさしくなでながら、いいましたが、まだズロースは、はかしてくれません。浣腸された後の、軽い腹痛と何とも言えぬあの屈辱感。でも私は率直に「気持悪かったわ、とても。」 そう言って、これ以上の浣腸から逃れようと必死でした。
 姉が便の始末を終えて帰ってきました。又横に座って母の顔をみました。「そうね、十分出たようだから、もう今夜はいいでしょう。」 この言葉を聞いて私は飛び起きました。そして母の気が変らぬうちにと、急いでズロースを身につけました。
 ほっとした気持になると同時に、いままでの不満がふたたび私の胸にこみあげてきました。母の手で浣腸されるのは仕方ないにしても、姉がいつもそれを手伝うのは何としてもいやでいやでしようがないのでした。
 姉が中学へ入ると同時に、母はぴたりと姉に浣腸するのをやめたのです。そして姉が便秘だと言えば大抵下剤をのませるのでした。そして私が便秘の時は浣腸。それも姉に手伝わせるのが常でした。もっとも姉が当時、全然浣腸されなかったのではない、ということは後になって偶然わかりましたが・・・・・つまり母は子供の私が寝てしまってから、姉には浣腸していたのでした。しかしそれはせいぜい月に一回位でした。
 ところでこの位の浣腸なら、当時の私としては決してめずらしいことではなく、今まで記憶に残ってはずですが、数時間後には例の私の怖れていたグリセリン浣腸をされることになってしまったのです。しかもお友達の見ている前で・・・・・
 浣腸が一段落して、一時間程たつと母も姉もフトンを敷いて寝床に入りました。私も別にめずらしいことでもないので、浣腸のことなど忘れて床に着きました。
 カヤの中はむし暑く、郊外のことですので蚊のうなり声がうるさく中々ねむれませんでした。私はその日は本当に体の様子がおかしかったらしく、熱のあるせいか何度も寝返りをうって母や姉に心配させました。普段こういうことはめったになかったのです。
 でもいつのまにかうとうとしていました。ようやく眠りについたか、つかないという時です。私は母からゆり起こす声にねむそうに眼をあけました。「どうしたの、喜代子、ものすごく熱があるわよ。」
母は明らかに驚いていました。私もその時かっかっ、とほてるような感じがしていました。しかし例のことが頭にあるものですから「何でもないわ、喜代子ねむい。」といって母の言葉を無視しようとしましたが、母はその時姉に隣の家に行って医者を頼んで貰うよういいつけていたのでした。姉はまもなく帰って来て、母とこそこそ話ししています。するとその時、隣の家の俊夫ちゃんという私と同じ年の男の子が、電話の医者の返事をもって来てくれたのです。「あのね。お医者さんはね、あと三十分か一時間のうちにおうかがいしますって。そしてねそれまでにひまし油飲ませて浣腸かけておきなさいって。」 私はこの同じ年の男の子の口から浣腸という言葉を聞いた時は、恥かしさと気まりわるさで一杯でした。でも母と姉はすぐ支度にかかりました。「俊夫ちゃん、どうもありがとう。ついでに氷屋さんへ行って氷買って来てくれない。」 俊夫ちゃんはこっくりうなずいて出て行ったのです。いよいよ例の浣腸が始まるのです。
 母は茶わんにひまし油を入れて持って来ました。姉は母に云われて浣腸の用意をしているのでしょう。未だ姿をみせません。母はひまし油を一旦下に置くと私に言いました。「さあ、一ぺんにぐっと飲みなさい。そして終わったらおとなしく浣腸しましょうね。」
 ひまし油か浣腸。夏の病院の季節となるといかに多くの子供達がこの二重のお仕置をうけるでしょうか。実際この二つは他のどんなお仕置より子供にとっていやなものなのです。油っこい -当然のことですが- ひまし油を、鼻を押えられて無理やりに流し込まれる時の苦しさは、この後ですぐもっといやな浣腸がひかえているのだ、ということを考えることによっていっそうあわれさを増します。はき気のくるのをかろうじでこらえ、ひまし油を私は飲み下しました。ほっとした時、又さっきの俊夫ちゃんのいった「浣腸かけておきなさいって」 という言葉を思い出しました。「はいお母さん、浣腸器とグリセリン。」 姉が用意の品を母に差し出しました。私はいやいやをしています。私はそこで泣き出してしまったのです。「何を云うんです。病気が直りませんよ。おとなしく浣腸するのよ。」
 母は私にお構いなく、例の浣腸器で洗面器に入っている水を、いっぱいに吸い上げました。満足そうにそれをみて、今後はその水を又洗面器に返し、いよいよグリセリン液を注意深く吸い上げました。私も姉も、その浣腸器の目盛を無情にも上がってゆく冷たい液体をみつめています。10cc、20cc、30cc、それよりぐっと上まで液を入れています。私は又泣きました。「いやよ、そんなにいっぱい。」許されないことはわかっていても、そういわずにはいられなかったのです。それ程グリセリン浣腸は私にとっては怖い存在だったのです。「ねえ、いちぢく浣腸にして、ね、ね、」 私の最後の願いも、全然顧慮されず、たっぷり50ccは吸いあげた浣腸器を横におくと、手早くズロースを脱がせました。さっきのように新聞紙を下にすべらすと、母は厳しく私にこう云いました。「グリセリン浣腸だから、少し苦しいけど我まんしなさい。でないと直りませんからね。さあ、口をあけて。陽子、動かないようにしっかりおさえていなさい。」
 この時、姉が電気が暗い、と云ったので中断されました。大きな電球につけかえられた時、それは芝居でいうと、クライマックスになって照明が、ひときわ光輝いた時です。姉は私の左横にすわって、両太ももをしっかり押えつけました。母は私のうしろ右横から浣腸器の先端を差しこみました。姉のおさえていた手に力が加わりました。静かに注入が始ります。冷たい液体が少しずつおしりの中に入ってくるのですが、その気持の悪さ、といったら、先のいちぢく浣腸の比ではありません。普通はグリセリン浣腸といっても二倍にうすめるのですが、その時は文字通りのグリセリン浣腸でした。それに量が50cc以上です。グリセリン浣腸はこんなにもいやなものなのか、泣きたい気持でした。注入は未だつづいています。「おばさん、買って来たよ。」 その時俊夫ちゃんが玄関の戸をあけて、いつものように無遠慮に座敷まで上がって来ました。母も姉も一寸あわてたのですが、浣腸中の為、手がはなせません。俊夫ちゃんは私の浣腸されている最中をみてしまったのです。流石に驚いて氷をそこに置いたまま、「さようなら。」 と云って出て行きました。それと同時に浣腸も終わりました。私の眼からは涙がとめどもなく出ていました。明日から恥ずかしくて学校へ行けない、と思いながら。
 幸い俊夫ちゃんが思いやりのある子で、誰にもそのことを言わなかったので、結果的には、知られずに済みましたが、子供-未だ小学生であること-ということを考えるとそれは奇蹟的、と云ってもいい位でした。
 私は不愉快さと、浣腸の後の苦しみでぼろぼろ涙を流していました。姉が、そっと涙をハンカチでふいてくれましたが、そんなこと等今更何にもなりません。グリセリン浣腸液で刺激されて、便意はつのるし、お腹も痛くなってきました。「もうちょっとがまんしなさいね。」 母は、丁寧にグリセリン浣腸器を片附け始めました。グリセリンの何とも云えないあの臭いが、今された浣腸の思い出をいっそう明瞭にします。
 約十分程我慢出来たのは、さっきのいちぢく浣腸直腸近くの便は排泄されていたからでしょう。母が便器を差し込んだ時、玄関に人の気配がしました。私は又はっ、としました。今度は医者が来たのです。医者は私が仰臥けになって排便しているのをみて「もぅ浣腸はすんだんですね。どうなんです具合は。」 「寝る前にお通じがなかったもんですから一寸浣腸かけてみたんですよ。いい便が出たものですから、そのまま寝かせたんですが、いま一寸熱を計ってみたら、熱が高いままですから・・」「先に浣腸をかけた時の便は?」 「あの捨ててしまいましたけど。」 「そうですか、その便がみたかったな。」 医者はそう云うと私の排泄した便をのぞき込みました。
 この始めてのグリセリン浣腸が終わると、私はほっ、とため息をつきました。それから医者は色々診察をしましたが、そのことはいま殆んど記憶にありません。
 医者が帰る時母に「学校は二、三日休ませた方がいいでしょう。軽い腸カタルですよ。心配はいりません。食事は明日はオモユであさってからおかゆにして下さい。番茶以外は飲ませないで下さい。それから、あしたからは寝る前にお通じがあっても無くても浣腸して置いて、その便はとっておいて下さい。」 私はオモユ等飲ませてお通じなんかある筈ないのに、と医者の云う事がうらめしくてしようがありませんでした。よしんばお通じがあったところで、浣腸されるのだから全くやりきれない気持でした。それに明日はきっと近所の人達がお見舞に来るだろうし、その時又今夜の浣腸の話が出る、と思うと余計悲しくなるのでした。
 そして翌日から約一週間程、母の手で私は浣腸されつづけたのです。   (終)


コメント

Re: ありがとうございます(^^)

なおちゃん
> 大人になった今ではもう、堂々としてもらいますよ(^^)v
そうなんですかー ちょっと拍子ぬけ~(^^)
ももこの姉と同じですね。
http://love889988.blog60.fc2.com/blog-entry-1741.html
でも ももこはレディースクリニックの女医さんであっても恥ずかしくて浣腸のおねだりは出来ません。
一度だけ子宮が重い感じの傷みがしたので 診察の後この数日便秘気味と言うと、すぐにナースに浣腸の指示をしてくれました!
そして自分より5歳くらい若いナースに120mlの大きめディスポ浣腸されたんですう(泣)
やっぱりすごく恥ずかしくて、それ以来そのクリニックにはいけなくなりました(^^)
なおちゃんのように堂々とは とてもしてもらえません。
きっと ももこたち浣腸属は浣腸行為に卑猥なイメージを重ねすぎるからなのでしょうね!
でも・・・ その浣腸行為への過敏さが自分でもすきなんですよ。
そしてこのブログも存在するの(^^)

ありがとうございます(^^)

子供の頃ゎ浣腸されるなんて、すごく怖くて恥ずかしい思い出でした(TT)
大人になった今ではもう、堂々としてもらいますよ(^^)v
元々私ゎ、お腹の力が弱くて便秘気味になりやすい体質でして…(^^;
病院(レディースクリニックですけど)で診察してもらった際、ついでに女医さんにイチジク浣腸をしてもらいます。
診察後は、いつもスッキリして帰りますよ(^^)v♪

Re: タイトルなし

なおちゃん
貴重な初体験談有難うね。

小学3年生の頃の病院での浣腸はトラウマになりそうですね(^^)

看護婦さんに浣腸液を注入された瞬間、気持ち悪く感じて、お腹も痛くなって
でもそのすごーく恥ずかしい体験がいい思い出になるのよね(^^;

私も小学3年生の頃、風邪で便秘気味になり病院で浣腸をしてもらった事ありますよ(^^)
子供用の小さめなイチジク浣腸でした(^^;

トイレで看護婦さんに浣腸注入された瞬間、お尻がめちゃめちゃ気持ち悪く感じて、しばらく我慢も、お腹が痛くて出来ませんでした…(><)
でも、溜まったウンチを大量に出して超スッキリしました(^^)v
子供の頃の私には、すごく恥ずかしい体験しちゃいました(^^;

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